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2020年04月11日

4月に入ってからの振り返り

4月に入ってからの振り返りです
(1年前に夫の闘病を振り返って書いた日記)

2019.4.2
桜の美しいこの季節、一年前は病院通いの日々でした。
春休み中の長男と共に、病院への道中、お父さんと桜を見たいねと毎日話していました。
食事は糖質制限をしていたので、病院食では食べられるものがほとんどなく、調理して持っていくのがとても大変でした。
近くの自然食品店やスーパーへ買いに走ったり、片道45分の家までを二往復する日もありました。
いつも私達が帰るときは駐車場まで降りて見送ってくれました。
その時に夫と長男との三人で見た青空、春の空気、山の上に見える桜、、まだ鮮明に思い出せます。

2019.4.2
主治医から厳しい話をされ、血の気が引き、胸がざわつき、涙が抑えきれませんでした。
同席していた長男はあまり意味も分かっていなかったようでキョトンとしていました。
夫の病気は一時良い兆しがあったときもありましたが、ほぼ毎回、増悪しているということを伝えられました。
今後、どんなことが予想されるか、ということも。
また同じように出血したらおそらく助からないとか、喀血したら窒息してしまうとか、呼吸が苦しくなってくるだろうとか。。
もし自分だったらパニックになるだろう状況でも夫は強かったです。

2019.4.6
肺炎はとりあえず落ち着き、、でも他にも色々と問題があったり、抗がん剤のこともまだ答えが出ぬままだったり。でもとにかく仕事を終えたいので退院を希望し、無事家に帰れました。
昨年の春は暖かく、桜も葉桜になりかけている状態だったけれど、家族で桜を見ることができました。
毎年撮ろうねと約束していた、庭の桜前での家族写真、、
よかった、桜がなんとか残ってる!間に合った!!と、、
でも、夫はカメラと三脚を庭に運んでは来たものの、疲れてしまってセットしきれずに撮ることができませんでした。
抱いていた三男を下において、なぜあの時夫を手伝わなかったのだろう。あの時のことを思い出すと切なくなります。

2019.4.9
体力低下と引かない痛み。
急遽病院へ、ということが度々起こるようになりました。
この時の診察で、やっと痛みが肋骨が折れていることによるものであることが分かりました。
(普通は折れないようなところだったのでこれまで見落とされていたようでした)
肋骨が極力動かないようにするサポーターをつけることと適切な薬(骨折の痛みに対するものをプラス)により、ようやく強い痛みがコントロールできるように。
この時期、薬代は週に1万円を超えていました。
麻薬系のお薬は非常に高額でした。
高額医療費はあとから返ってくる分もありますが、一旦支払わなければならず、、
しかしながら、じゃあ、薬はやめておくなんてことは絶対にできず、、
仕事は夫婦共々ほとんどできない状況だったので金銭的にも精神的にもとてもきつかったです。
急遽の診察で子どもたちを保育所や学童の終了時間までに迎えに行けないことも時々ありましたが、お友達や民生委員の方がフォローしてくれて(迎えに行って、私達の帰宅まで預かってくれて、時にはご飯まで食べさせてくれていたり)本当にありがたかったです。



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Posted by 森口智美 at 21:16│Comments(0)闘病の追憶
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