2020年03月21日
闘病の始まり
※2年前のことを振り返って書いています※
夫の肺動脈破裂(2月中旬に突然の肺からの出血がありました)は悪性腫瘍が原因だったことが数日前に判明。今後、闘病が続くことを受け、もう少し先で保育所に入所する予定だった三男(当時11ヶ月)は4月からの入所に前倒すことになり、離乳食を慌てて始めるなど、準備を整え始めていました。
この時点でまだ余命宣告はされず。
しかしながら私に直接病院から連絡があり、かなり珍しい症例であること、病気の進行が早く、今後のことを早急に話さなければならないことを伝えられ…
予後についても、電話で話すのは難しいと厳しい見通しを伝えられました。
悪性腫瘍という診断に心がざわつきながらもふたりで前を向いてやっていこうと思っていた矢先、厳しい現実を予感させる医師のことば。
この電話の最中、夫は和歌山の実家への道を運転中。後部座席で夫に涙と震えを悟られないようにひたすら耐えた。お母さん大丈夫?と察した長男を思わず抱き締めました。
この時から、なんとも言えないざわつきと不安と恐怖を抱えながら、でも、それらは表に出せず、日々の生活と夫の闘病をこなすことに。
当たり前に毎日朝が来て一日が始まって、世間はなにひとつ変わらない現実に、自分だけがどこかに取り残されたような強い孤独感を感じていました。
夫の肺動脈破裂(2月中旬に突然の肺からの出血がありました)は悪性腫瘍が原因だったことが数日前に判明。今後、闘病が続くことを受け、もう少し先で保育所に入所する予定だった三男(当時11ヶ月)は4月からの入所に前倒すことになり、離乳食を慌てて始めるなど、準備を整え始めていました。
この時点でまだ余命宣告はされず。
しかしながら私に直接病院から連絡があり、かなり珍しい症例であること、病気の進行が早く、今後のことを早急に話さなければならないことを伝えられ…
予後についても、電話で話すのは難しいと厳しい見通しを伝えられました。
悪性腫瘍という診断に心がざわつきながらもふたりで前を向いてやっていこうと思っていた矢先、厳しい現実を予感させる医師のことば。
この電話の最中、夫は和歌山の実家への道を運転中。後部座席で夫に涙と震えを悟られないようにひたすら耐えた。お母さん大丈夫?と察した長男を思わず抱き締めました。
この時から、なんとも言えないざわつきと不安と恐怖を抱えながら、でも、それらは表に出せず、日々の生活と夫の闘病をこなすことに。
当たり前に毎日朝が来て一日が始まって、世間はなにひとつ変わらない現実に、自分だけがどこかに取り残されたような強い孤独感を感じていました。
Posted by 森口智美 at 23:24│Comments(0)
│闘病の追憶
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