ロハス生活のススメ › 2020年03月

2020年03月29日

癌センター受診

昨日と今日、1年ぶりに夫を思って泣きました。悲しいはずなんだけど涙が出ない。というか、悲しくない。。そんな状況だったのだけど、とあるお方とお話しするなかで、居て欲しいときに側にいてほしいと思うのはやっぱり彼なんだなー、かけがえのない人を亡くしたんだなーーと思うと泣けました。
悲しい気持ちは長くは続かないのだけど、泣けたことでホッとした自分もいます。

2年前の今日は日帰りで東京の国立ガンセンターへ、夫の検体を持って受診。
まさか鞄の中に夫の切り刻まれた肺が入っているなんて誰も予想しないだろうな、
外から見たら移動している人のひとりに見えるんだろうな、、
まさかこの数日で余命宣告された夫を持つ妻には見えないだろうな、、、 
ぐるぐるいろんな理不尽を抱えながら、ただひたすら暗い待ち合いで予約時間をかなりオーバーして待たされ、診察も当然話は弾まず、、

そして得られた結果は治療法なし。延命のみ。
やりたければ抗がん剤を。効かないと思うけどーみたいな内容。

この時夫は肺炎で入院中。
まだ0才乳飲み子だった三男、いやいや真っ盛り次男、不安いっぱい長男をフォローしつつ毎日の見舞いと夫の食事の準備(食事療法を開始していて病院食ほとんど食べず)。
疲労困憊だったけど、アドレナリンが出まくっていたのでなんとか持ちこたえていました。

移住だとこういうときにとても大変。緊急なときは民意委員さんやお友だちに頼ったけど、日常的に継続したフォローがあれば、、きっと身体的にというよりも、精神的にとても救われていたと思う。

いつかそんな情況を察したら私はきっとじっとしていられないだろうな。あのときの自分はあまりにも辛かったから。。

#夫の闘病の追憶  




Posted by 森口智美 at 23:45Comments(0)夫の病気闘病の追憶

2020年03月21日

闘病の始まり

※2年前のことを振り返って書いています※

夫の肺動脈破裂(2月中旬に突然の肺からの出血がありました)は悪性腫瘍が原因だったことが数日前に判明。今後、闘病が続くことを受け、もう少し先で保育所に入所する予定だった三男(当時11ヶ月)は4月からの入所に前倒すことになり、離乳食を慌てて始めるなど、準備を整え始めていました。

この時点でまだ余命宣告はされず。

しかしながら私に直接病院から連絡があり、かなり珍しい症例であること、病気の進行が早く、今後のことを早急に話さなければならないことを伝えられ…
予後についても、電話で話すのは難しいと厳しい見通しを伝えられました。

悪性腫瘍という診断に心がざわつきながらもふたりで前を向いてやっていこうと思っていた矢先、厳しい現実を予感させる医師のことば。

この電話の最中、夫は和歌山の実家への道を運転中。後部座席で夫に涙と震えを悟られないようにひたすら耐えた。お母さん大丈夫?と察した長男を思わず抱き締めました。

この時から、なんとも言えないざわつきと不安と恐怖を抱えながら、でも、それらは表に出せず、日々の生活と夫の闘病をこなすことに。

当たり前に毎日朝が来て一日が始まって、世間はなにひとつ変わらない現実に、自分だけがどこかに取り残されたような強い孤独感を感じていました。  




Posted by 森口智美 at 23:24Comments(0)闘病の追憶